岐阜の日本遺産を訪ねる


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地図 岐阜の日本遺産を訪ねる

m_num1 岐阜城跡 指定等の状況 国史跡 岐阜城跡
ストーリーの中の位置づけ 信長の居城。山上の城郭と山麓の居館の2ヶ所でもてなしが行われた。江戸時代も尾張藩主らが見物に訪れており、明治以降になると一般に開放された。
m_num2 岐阜城復興天守 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 m_img2
ストーリーの中の位置づけ 天守からの眺めは多くの人を魅了した。その姿は、遠くからでも存在感を示し、岐阜市のシンボルとして親しまれている。現在は昭和31年に造られた2代目の復興天守。
m_num3 史跡岐阜城跡
(織田信長居館跡)出土金箔飾り瓦
指定等の状況 市重要文化財 史跡岐阜城跡(織田信長居館跡)出土金箔飾り瓦
ストーリーの中の位置づけ 岐阜城山麓のもてなしの場である中心建物を飾った金箔瓦。日本で初めて城郭で用いられた。
m_num4 長良川の鵜飼漁の技術 指定等の状況 国重要無形民俗文化財 長良川の鵜飼漁の技術
ストーリーの中の位置づけ 近世以前からの伝統を継承した漁法。信長をはじめとする時の権力者は、鵜飼見物をおもてなしとして用いた。江戸時代以降もチャップリンをはじめ、世界の賓客が見物している。
m_num5 長良川鵜飼用具 指定等の状況 国重要有形民俗文化財 長良川鵜飼用具
ストーリーの中の位置づけ 長良川の鵜飼に関する用具一式。鵜匠の伝統的な装束は江戸時代後期には成立した。
m_num6 長良川鵜飼観覧船 造船技術 指定等の状況 市無形民俗文化財 長良川鵜飼観覧船 造船技術
ストーリーの中の位置づけ 客を乗せるために屋根を備えた観覧船の需要が高まり、他の川船と異なる観覧船造船技術が発達した。
m_num7 長良川鵜飼観覧船 操船技術 指定等の状況 市無形民俗文化財 長良川鵜飼観覧船 操船技術
ストーリーの中の位置づけ 船からの鵜飼見物を支える船頭の操船技術。河床が川石である環境に合わせ、サオを主体にカイを併用する操船技術が発達した。
m_num8 鵜匠家に伝承する鮎鮓製造技術 指定等の状況 市無形民俗文化財 鵜匠家に伝承する鮎鮓製造技術
ストーリーの中の位置づけ 古代から献上品として珍重されてきた鮎鮨の製造技術。岐阜の食文化を示すもので、今も年末年始の贈答用に製造されている。
m_num9 長良川まつり・鮎供養 指定等の状況 未指定 長良川まつり・鮎供養
ストーリーの中の位置づけ 鵜飼にまつわる祭事。旧暦6月6日に神明神社で行われる水運安全祈願の祭礼で、同じ日には鵜匠をはじめとする関係者による鮎供養の祭事が行われる。
m_num10 船上の遊宴文化 指定等の状況 未指定 船上の遊宴文化
ストーリーの中の位置づけ 長良川の舟遊びの文化。中世においても鵜飼観覧と舟遊びは一体のものであった。現在も長良川鵜飼から生まれた小唄「風折烏帽子」などの伝統的な遊興文化が良好に継承されている。
m_num11 長良川中流域における 岐阜の文化的景観 指定等の状況 国重要文化的景観 長良川中流域における岐阜の文化的景観
ストーリーの中の位置づけ もてなしの舞台となった長良川、岐阜城・金華山、城下町一帯の景観。街区などのまちの骨格は戦国時代にまでさかのぼる。
m_num12 後楽荘(日本料理店) 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 後楽荘(日本料理店)
ストーリーの中の位置づけ まちでのおもてなしの場のひとつ。明治時代以降、金華山を眺望できる部屋で客をもてなした。
m_num13 川原町屋(喫茶店) 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 川原町屋(喫茶店)
ストーリーの中の位置づけ まちでのおもてなしの場のひとつ。天守を眺望できる部屋をもうけて、客をもてなした。部屋は明治末の復興天守建設を受けて造られた。
m_num14 鵜匠家 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 鵜匠家
ストーリーの中の位置づけ 鵜飼屋地区に存在する6件の鵜匠の家。主屋のほか、鵜の世話や漁の運営に必要な鳥屋、水場、松小屋などが設けられている。
m_num15 川原町のまちなみ 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 川原町のまちなみ
ストーリーの中の位置づけ 川湊の近くに発展した集落。かつては多くの紙問屋や材木問屋が軒を連ね、現在も独特の白木の格子が続く美しい町並みが継承されている。
一部の建物は文化的景観の重要な構成要素となっている。
m_num16 御鮨街道のまちなみ 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 御鮨街道のまちなみ
ストーリーの中の位置づけ 当時の主要道路。江戸時代、鮎鮨を江戸まで運んだため御鮨街道と呼ばれるようになった。現在も旧紙問屋など多くの店舗が立ち並ぶ。
m_num17 妙照寺本堂・庫裏 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 妙照寺本堂・庫裏
ストーリーの中の位置づけ 江戸時代、松尾芭蕉が約1ヶ月滞在した寺。芭蕉はここを拠点に金華山登山や鵜飼見物を行った。また岐阜御成の際には藩主の休憩所ともなった。
m_num18 楽市楽座制札附
織田信長百姓帰住 制札5点
指定等の状況 国重要文化財 楽市楽座制札附 織田信長百姓帰住 制札5点
ストーリーの中の位置づけ 当時のまちのにぎわいを物語る資料。信長がまちの活性化のため出した制札。
m_num19 善光寺 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素 善光寺
ストーリーの中の位置づけ 山科言継が訪れた城下町の名所で、滞在中に2度お参りに訪れている。信長の嫡子信忠により信州の善光寺如来が移されていた時期もあった。
m_num20 法華寺 指定等の状況 未指定 法華寺
ストーリーの中の位置づけ 山科言継が訪れた城下町の名所。信長の入城後に清須から移転したと伝えられる寺で、言継は長良川とセットで訪れている。同寺が所有する「絹本著着三十番神像」は市重要文化財。
m_num21 御薗の榎 指定等の状況 市史跡 御薗の榎
ストーリーの中の位置づけ 当時のまちのにぎわいを物語る場所。楽市の市神として祀られたとされる榎で、江戸時代、朝日文左衛門は金華山観光をする前に立ち寄っている。
m_num22 伊奈波神社 指定等の状況 未指定 伊奈波神社
ストーリーの中の位置づけ 天文8(1539)年、築城に伴い斎藤道三が金華山から現在地に移したと伝えられる。岐阜市の総氏神で旧県社。
m_num23 岐阜まつり 指定等の状況 市有形民俗文化財 岐阜まつり
ストーリーの中の位置づけ 中世から続く伊奈波神社の祭礼。現在は4月第1土曜日に行われている。江戸時代の史料には27台の山車が描かれるなど町を挙げての祭りであった。
現在残されている4台の山車は、市の文化財に指定されている。
m_num24 正法寺(岐阜大仏) 指定等の状況 文化的景観 重要な構成要素、
県重要文化財、市重要文化財
正法寺(岐阜大仏)
ストーリーの中の位置づけ 材木や竹、和紙等からなる民芸的な大仏は、大仏殿と一体で造られ、町のランドマークになっている。
武家屋敷跡地に立地しており、まちでのおもてなしの拠点の一つ。近年まで境内で精進料理も提供していた。
m_num25 岐阜提灯 指定等の状況 国登録有形民俗文化財 岐阜提灯
ストーリーの中の位置づけ 上流から運ばれた美濃和紙と近隣で産出された良質の竹を利用して造られる工芸品。言継の記録にある、京都まで評判が知れ渡っていた美濃の灯篭は、この提灯であった可能性がある。
m_num26 岐阜団扇 指定等の状況 未指定 岐阜団扇
ストーリーの中の位置づけ 美濃の手漉き和紙と良質な竹を用いて作られた工芸品。室町時代には岐阜の団扇が宮中に献上されていたとの記録がある。
m_num27 岐阜和傘 指定等の状況 未指定 岐阜和傘
ストーリーの中の位置づけ 江戸時代、下級武士の内職として奨励されたことにより、地場産業としての基礎が確立された。現在も、加納地区を中心に伝統の技が受け継がれている。

一部構成文化財候補も含まれます。(H28.3現在)

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信長公のおもてなしに まつわるストーリー
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問合せ先

日本遺産「信長公のおもてなし」岐阜市推進協議会
(事務局:岐阜市教育委員会社会教育課)

岐阜市神田町1-11
TEL 058-214-2365